弁証法的世界観

ある日のスタジオ練習の後、いつも通りマユと飲みに行った時にこんな話をしていた。

 

ヨルバ「歳をとって感受性が鈍くなっていく。昔は辛く感じたことや大切だった思いが段々と薄れていく。」

マユ「それは自分の湖が広がって海になったからだよ。昔は大きかったものが小さくなるのは、自分が広くなったからだよ」

ヨルバ「そっか、タフになったのかもしれない。。」

 

僕は上のようなマユの意見を聞いて、なるほどそういうモノの見方もあるなと思った。さすがに女の人は強い。(そして言語センスが良い)

だけど僕は生理的に下を向いて痛んでいる人が好きだったりもする。

 

上記の2つの意見は結局は同じ事象を異なる側面から述べているに過ぎない。物事への主観的な捉え方が違うだけ。

だから本質は同じモノを点いていると思う。

どちらも間違ってないし、どちらも正しい。

 

———

 

僕は表現として物事の両極端な陰と陽が面白いと思う。

とても説得力がある。とてもコントラストが強い。

例えばただ単に「君が好き〜ずっと一緒にいよう♪」みたいなことを歌われても僕には少しも面白くない。全く感じない。

でも「君が好き〜だけど永遠に届かない♪」だとまぁまぁ、面白く感じる。

(例があまり良くないが苦笑。言いたいことは伝わるでしょう?)

 

僕は生きていく上で楽しい思いよりも大変な思いの方が多いと思うし、本当に欲しいモノは手に入らないと思うから、断然後者の方に真実味を感じる。

楽曲でもそう。

踊るような流麗なギターに悲痛な思いをそっと囁くように歌うエリオットスミスの陰陽道には感嘆させられる。

 

感嘆させられるのは説得力があるから。

音楽としての。世界感としての。

だから事実であるように感じられる。

事実は事実だから強い。

 

———

 

これも意見の一つでしかない。

本質は一つしかない。

どちらが正しいわけでもないし、どちらが正しくもある。

考えが移り変わってもいいや。

否定と肯定とまた否定を繰り返して昇華することが出来れば。

 

この世界には主観的解釈の相違がたくさんある。

 

写真はカリフォルニア州サンディエゴのビーチでの影