South of the Border,West of the Sun

午前中は薄いレイヤーが幾層にも織り重なったような隙間のない静かな雨が降っていた。

薄暗い部屋の中で村上春樹の「国境の南、太陽の西」をおそらく10年ぶりに再び読み終えた。

 

一人っ子が主人公の作品で当時は自分のことを言い当てられたみたいに感じ、とても気持ちが揺さぶられた。

今もシンパシーを感じるがそれは誰にでもある当たり前の事であり、普遍的な事柄を上手に取り扱っているんだという事の方が強く感じる。

 

僕は高校生から大学生の半ばまでは自分の心の純粋さを自覚し大切にしていた。

当時はその純粋さが逆に気恥ずかしく、ウィークポイントにも思え対外的には隠して過ごしていた。

表面的には確かにガサツだったし、一般的に悪いとみなされることもたくさんした。

が、自分は本質的には優しい人間であると思っており、一般的には悪いとみなされることをしていてもそこに自分なりの正義があると思っていた。

(何も考えていない、考えが足りなかった事も多くあったと思うが)

そして自分を悪や害や不誠実をなすある一線を越えることが出来ないことも自覚していた。そのため自分が臆病でつまらない人間であるとも思っていた。他人を傷つけることが怖かった。

 

だが恋愛は違った。恋人を傷つけ、同時に自分を傷つけることになっても安定に留まる事は出来なかった。

好きではない人と一緒にいるのは生理的にもしんどいし、自分の中で紳士的だとも正しいことだとも思えなかった。

僕は当時そういう考えを相手に伝えるだけの力もなかった。

彼女に対して何かを尋ねてもいなかったかもしれない。彼女の気持ちなんて全然考えていなかっただろう。

自分から付き合ってと言って、自分から別れると言う身勝手さに嫌気がさしていた。

 

そうやって幾つかの恋愛を経て自分の傲慢さ・残酷さ・汚さに気づき、自分は決して純粋な心を持つ人間ではないことを知った。

それを知って僕は辛かったし、自分の中の何を信じれば良いかもわからなくなった。

心とは反対に身体は女を求めていたが、生来的に軟派なことは出来なかった。単に恥ずかしかったからだ。

シャイな気質のおかげで自分をもっと低いところに追いやるのを押しとどめることは出来たが、孤独と自己嫌悪の闇は濃くなっていった。

転換期が訪れるまでは。

 

最初から純粋さなんて信じてるだけその分自分が馬鹿だったわ。(それともひょっとしたら誰もがそういう時期を通過して捨ててきたの?)

たぶんみんなはもっと早く社会とか人間生活や人生ってものをわかってたんだよね。

歳を取れば男女共に多くの人が welcome になっていき、そのドライさが正しく?自然であること。

多くの人が家庭を営みながら、娼婦の下を訪れること。

永遠に続く恋愛はないのだからそれもしょうがない。

 

でも純粋さを求め、葛藤を越えていなければ、人としての深みはないんじゃないかな。

 

村上春樹の作品は9割くらいは読んでると思うが多くを忘れてしまった。

要点を掴む読み方をすれば大分早く読める事がわかったし、またいろいろと読み返してみよう。

何かを思い出し自分の変化を確かめることが出来る。